樹木葬

私は長男、女房は長女で、本来なれば家を継がなくてはいけなかったのかもしれません。でも、それぞれの実家から遠い仙台に家を構えて、どちらの家も継がないという、親不孝夫婦です。
娘2人にも「家を継ぐ必要はないから、かってにせい」と言っていまして、結婚して別の姓を名乗っています。
千の風に乗って”ではないですが、私が生きて生命活動をやっているのは、主に、水素原子、酸素原子、炭素原子の化学反応のおかげで、カルシウムにはあまり意味がないのではないか、と思っているのです。従って、火葬して、水素、酸素、炭素を空気中に放出してしまえばそれでおしまいで、お墓に骨を埋葬して以後大切に敬うことの意味が私にはわからないのです。だから娘たちにも「私が死んだら骨は何処かの山に散骨していいから」と言っていたのでした。
 ところで、昨年の暮れに、次女の旦那のお父さん(私より2歳年上)がなくなりました。彼が死を覚悟したころ言っていたことは、死体は献体する、遺骨は共同墓地に埋設する、の2件だったようです。次女の旦那はマネジメントは得意な方のようですが、何もないところから葬儀一式の手配など、大変苦労したようです。
 そこで、私も、まじめに、死後のことを現実的に考えておかねばならないとあいなりました。女房は以前から樹木葬に興味があったようですが、その場所は仙台から100km以上も離れた岩手県のこと、しかも、雪が深くて冬季は交通止めとか・・・、話は途切れていました。
 最近、大和町の禪興寺から樹木葬のビラが配布されました。そこは私の家から24kmで、3角錐の小山が7個連なって、おとぎばやしの挿絵に出てくるような風景の場所です。以前から興味のあった場所です。
「ここだったら良いな、それに、私の故郷の信州はなんたって善光寺だからな」と、強引に結び付けて、禪興寺まいりに行きました。
 住職は40~50歳の若い方で、大学では学部は違うものの私の後輩で、善光寺で修業したこともあるとか、意気投合してしまいました。
私は種子から樹を育てるのが好きで、2mぐらいのタムシバを庭で育てていたのですが、その木を移植してその木の根元に骨を埋めたい、と言うことで了解をいただきました。
 タムシバモクレン科の樹で、東北地方の山には多くはないですが自生しているのです。図鑑では移植に弱いとありましたが、樹も大きくなく、根が動かない春先なら大丈夫かもしれないと、3月中旬に移植しました。時々行って見てきたのですが、新芽も出そろい移植は成功したようです。今日は根元の雑草取りです。

根元にはおまけとして付いてきたキエビネが花を咲かせていました。

偶然が続きますね。中年の女性が近づいてきました。
「まあ!、**先生、私++です。住職の姉です」
「なに!、あの時の++さん、しばらくぶりです、奇遇ですね」
私が大学で助手をやっていたころ、秘書をやっていた女性で、当時大変お世話になりました。