お馬鹿総理を考える

週刊誌の見出しにまで”お馬鹿総理”と書かれて、可哀想に、まな板の鯉状態ですね。
今朝2時頃目が覚めてしまって、なぜかこの言葉が気になってしまいました。

バカ総理、と言われたら、当人はまじめに怒りますよね、それが
おバカ総理、と言われると内心穏やかではないが、
      まじめに相手にするのも大人げないと
      苦笑い程度で済まされますね、きっと。
おおバカ総理、と言われたら、これ又きっと怒りますね。
おおおバカ総理、と言われたら内心かなり穏やかではないが、
      口を右にひん曲げて、やはり苦笑いでしょうか。
日本語は接頭語の使い方でこのように言葉のニュアンスが変わってくるんですね。日本語ってなんと素晴らしい言語でしょうか。
こんな事を気づかせてくれて、お**総理ありがとうございました。
ならば
おおおおバカ総理は?、ばかばかしいから考えるのはやめましょう。
こんな事を考えていたら、4時頃まで寝付けませんでした。