東日本大震災(3)水にかんして

11日の地震直後は水道水が出ました。鍋、蒸し器、20Lポリエチレン袋に水を用意することができました。風呂には残り湯が1/3ほど残っていましたが、これは火災などの非常用です。
娘夫婦が2LのPETボトル入り段ボール1箱を持って泊まりに来ました。ボトルの水は大変助かりましたが、使い終わったボトルも水を入れる貯蔵容器、お湯を入れてコタツの熱源(湯たんぽ)としても重宝しました。
3日目になると仙台市給水車が待機するようになりましたが、1人あたり1回の水量は2Lまでに制限されていました。女房と2人で4Lをもらうために、往復で1.6kmです。最初の頃は列が100m以上に長くなって2L/1人、の制限は守られていたようですが、給水に余裕が出来てくると、「私は団地の一番端から来てんだから、サービスしてや」、が通るようになり、20Lポリエチレン袋を一杯にしてもらえました。20Lの水を、手持ちで800m運ぶのは大変ですが、猫車を持っていたのでこれで運搬、助かりました。買い物用のカートで運ぶ人も見受けられましたが、19日には大雪に見舞われて、車輪の小さな車は大変のようでした。車輪の大きな猫車は大丈夫、楽々運ぶことが出来ました。
給水車の水はもっぱら飲料炊事用です、トイレ用の水が足りません。18Lポリタンク(灯油用のタンクで、古くなって廃棄しようとしていたものがもう一度お仕事に復帰)と漬物用のポリエチレン製樽数個で川から水を運びました。漬け物樽にそのまま泥水を入れるのには抵抗があります。樽の中に家庭ゴミを入れる仙台市指定のポリエチレン袋を入れ、この中に川の水を入れます。袋の上を丸めて縛って密封状態にします。樽ごと乗用車で家まで運びました。水が溢れ出ることはありませんでした。
20日、水運びの労働から解放されました。ばんざい!!。