ブナの発芽(まとめその1)

昨年の秋は、宮城県北部の山ではブナの実が大豊作であった。ブナの実は人が食べても美味しい。クマ、ネズミやゾウムシなどにとっては貴重な食糧源である。しかし、全部食べられてしまっては、ブナは種族保存ができなくなるので、数年に一度、食べられても余る量の種子を生産するらしい。
宮城県山形県の県境の山頂に放射性廃棄物の処理場を作るという非常識極まりない計画が、こともあろうに環境庁から発表されて、その反対運動が起こった。
 私もその運動に参加したのだが、反対運動はさておいて、その時に、酒の肴にと採取したブナの種子の話です。一応記録にとどめておくために書き始めました。
興味のない方は、どうぞ別のブログをお楽しみください。

種子の採取
11月4日、宮城県の県北、田代岳(箕輪山)の山頂付近、地上に落ちている種子を女房と採取。二人で採取したのでつい多くなってしまった(苦しい言い訳)。木から落下した日は不明だが、採取の1週間前にも現地を訪れて種子を拾っているので10月下旬以前に落下していたようだ。

1. 種子を播く
① 11月5日、5号蜂に種子を厚播きし、そのまま屋外の盆栽棚に放置。残った約100mlの種子は室内の机の引き出しに置く。
② 12月27日、机の中の種子の一部を、屋外のサンシュユの根元にばら撒きし、土を約1cm被せる。
③ 1月30日、残った種子の一部を天水桶の近くの地面にばら撒きし、土を約1cm被せる。
④ 3月2日、まだ残っていた種子の一部をパンジーの花壇の東側にばら撒きし、土を約1cm被せる。 
⑤ 3月2日、まだまだ残っていた種子、3稜型の種子の一稜をはぎ取って、パンジー花壇の西側にばら撒きし、土を約1cm被せる。
⑥ 3月中旬(?)まだまだまだ残っていた種子を、庭のユズリハの木の根元に埋める。
なぜこのように何回も種子を播いたかと言うと、①の種子が12月の中旬には双葉を出してきて、双葉のままでは冬の寒さで枯れてしまうだろうと考えた。その代替えとして、②の種まきをした。
まだ沢山のタネが机の引き出しに残っていたが、たまたまブナの本を読んでいると、ブナの種子は急速に発芽力を失うので、“採り播きをしなさい”と書かれていた。そのことを確かめるために、③と④と時間をずらして播くことになった。①のその後の観察から、根が出始めて枯れてしまう種子があった。この原因は、発芽力が減退する中で、殻を割るエネルギーがなくなりかけた種子であれば、私が殻の一片を剥がして播いてやれば発芽力が高くなるのではないかと考えたことだ。これが⑤の種子だ。まだ残っていた最後の種子を捨てたのが⑥だ。
 なぜこんなに種子を集めていたかと言うと、ブナの実は、殻をむくのに手間がかかるので、チビリチビリとやる酒の肴に最高だと思ったからだ。しかし、ブナの実は小さくて食べた満足感がわかない、結局食べるのが面倒くさくなって、沢山の実が残ってしまったのだ。

2. 鉢に撒いた①のその後
 屋外の盆栽棚の下、日陰の風通しの良くない場所に放置したのだが、12月下旬には双葉がでてきた。仙台は1月下旬が一番寒くなるが、このままでは寒さで枯れてしまうだろうと考えて、1月7日に家の中に取り込んだ。(1月7日のブログ)
 日中は日差しのある廊下に、夜間はより暖かい居間に鉢を移した。双葉は順調に成長し、1月の末には本葉が2枚出てきた。
 この頃からなんと!、またまた新しい双葉が芽生えてきたのだ。最初の一団は採り播きした直後から芽出しの準備を始めた一団であろうが、今回の集団は外である程度寒さを経験し、鉢が室内に取り込まれたのを春が来たと勘違いして芽を出した集団なのだろう、と、私は勝手に解釈した。
 だいぶ前のことであるが、春先の山で、雪の下で一斉に双葉を出していたブナを観察したことを思い出した。ブナの一部は雪解けを待っていち早く成長するために、すでに雪の下で、双葉になって待機しているのであろう。しかし山では雪が解けても寒波が襲ってくることがよくある。そうなると、雪の布団を剥がれたブナの幼い子供たちは全滅してしまう。そうなっても困らないように、一部の種子は、寒さを経験して暖かくなり始めてから芽生えを始める。ブナにはこの二段攻撃のうまい仕組みができているのではないかと想像した。
 2段目の発芽はバラバラと不揃いに長く続き、最後の方の芽生えは、殻をかぶったまま枯れてしまうものが出てきた。抜いてみると、根の先端が茶色に変色して細根が発生していなかった。
(近いうちにその2を書きます)