やっと終わった町内会長(3)

私は無神論者で宗教は信仰していないが、60才半ばを過ぎて、そろそろ自分の葬式の形式を考えておくべきかな、と思うようになってきた。
そんな折、町内会長として、ある葬式に出席することになった。
会場に着くと、葬儀は10時からのはずが、既に司会者がビデオに合わせて本人の履歴を紹介し始めていた。(うむ、なかなかよい企画だ)
お焼香して失礼しようと思っていたが、そのタイミングも分からず、10時丁度から友人葬なるものが始まってしまった。(友人葬もいいな)
お坊様ではなくて総師様(この漢字で良い?)が背広姿で登場し、お経を唱え始めた。出席者全員がお経を諳んじている様子、私は黙ってうつむいているしかなかった。(無神論だからお経はいらないな)
この宗教では、戒名もなければお墓もないそうだ。(なかなか良いぞ)
気がついてみると総師様が”#&@※£教”と繰り返し唱えていた。おそらく100回ぐらいにはなっていただろうか、ここで2つの疑問が湧いてきた。
①このお題目の回数は決まっているのだろうか?、誰かカウント係がいたんだろうか?。
②手品では極めて効果の高いお題目があって、”アブラ・カダブラ”と唱えると、コップの中のボールがアラ不思議!、一瞬にして消えてしまう。100回も唱えないと願いが叶わないお題目では誠に非能率ではないか。
と感じて帰った次第。
とにかく、お葬式に100万円以上もかけるのはばかばかしいと思っている私には大変参考になる葬式であった。
家に帰ってきて、早速漢和辞典で”#・・・・教”なるお題目の意味を調べてみたが、どの辞書にも説明がなかった???。
では、”お題目”とはどういう意味かを調べてみると「口先で唱えるだけで実行できそうにない項目」とあった。なるほどだから100回も唱えなくてはならないんだ、と妙に納得。