アメリカの同時多発テロ

9年前の9/11、私はダラス空港の*番ゲートの前に着いた。仕事でブラジルに行っていたが、朝6時*分ダラス空港に到着し、8時*分の成田行きに乗り込む直前だった。この飛行機に乗り込みさえすれば、寝ていても日本に連れて帰ってくれる、不便な英語ともお別れだと安堵していた。
*番ゲートでANAのNARITA行きの表示を発見した目の前で、表示板がパタパタ回転を初めて、CANCELEDになって止まった。他の飛行機の表示板も、次から次にパタパタ音を立ててCANCELEDに変わっていった。
さて何が起こっているのか、アナウンスで何かを放送しているようだが、英語が不自由な私には理解のしようがなかった。テレビでは高層ビルに飛行機が吸収されて炎があがっている様子が繰り返し流され、客が集まって釘付けになってきた。しばらくして、私にも事の重大さがわかってきた。テロに備えて空港がすべて閉鎖されたのだ。
当日1晩だけはANAで用意した豪華なホテルで1泊できたが、2日以後はダラスの町に放り出された。空港の閉鎖がとかれるのは1ヶ月先か3ヶ月後か全くわからないとの話で途方に暮れたが、幸い4日目に空港が再開されて帰路についた。
これで安心と思いきや、ダラスからハワイ行きの飛行機は機器の不具合で出発が数時間遅れ、ハワイ到着時にもタッチアンドリリースを3回もやり直すというハプニングに見舞われた。着陸した時には皆で手をたたいて喜んだのだ。
ハワイから成田への飛行機、安心するのはまだ早いと気を引き締めつつ乗っていたが、無事日本に帰還した。
今だから笑える話である。