高浜原発差し止めについて

 私は、裁判所の判断を支持します。

 裁判所の判断の骨子はいくつかあるが、長くなるので、{福島原発事故の解明が進まないなか、新規制基準を定めた規制委の姿勢に不安を覚える}の1点についてだけ私見を述べる。
そもそも人間が考え出すものは欠陥だらけである。オリンピックの競技場に聖火台が設計されていなかったし、そのことに誰も気が付かず数か月が過ぎている。このことからもしかりである。
 原発も欠陥だらけである。たまたま事故を起こすとその部分が改善される。この繰り返しに過ぎない。今まで原発安全神話が信じられてきたが、原発の個数が世界を見ても少なかったから事故件数もほとんどなかっただけの話である。
 自動車は世界中のメーカーがリコール合戦(?)をしているが、自動車が原発より安全性が低いわけではない。車の台数が原発よりけた違いに多く、部品の欠陥が自動車の個数に比例して発生しているから多いだけの差だ。リコールが多いほど改良は進む。欠陥を発見する機会の少ない原発の安全性向上は一向に進まなくて、危険なまま取り残されているのが現状だ。
 安全な原発を作るには、たくさんの原発を作って事故経験を多く積むしかない。でもそうしたら地球上は放射能に汚染されて、人類はもちろん住めなくなるであろう。そうならないためにはいったん事故を起こすと自動車とは比較にならない大きな災害となる原発は廃棄するしかない。人間の思考能力を過信してはいけない。人間の思考能力は欠陥だらけだ。事故経験を積んでしか人間の思考力は向上しない。
 原子力規制委員会は、将来起こる災害を過去の例から想定して、原発がそれに耐え得るかを科学的(?)に判断して示しているだけだ。基準に合格した原発が将来も安全に稼働できることを保証するものではない。”我々の考えが及ばない”ところから事故が発生する可能性は常にあるのだ。これを電力会社では”想定外の事態であった”として責任を転嫁することになるが、こと原発については”想定外”では許されないのだ。我々は過去の事故例を参考にしてしか将来設計ができないのだ。例えば、これから新しい国立競技場を作ろうとしたら、真っ先に聖火台の位置を設計することになるのだろう。
 原発の再稼働には絶対反対なのだが、どうしても再稼働をしたいのであれば、最低限の譲歩として、福島原発の事故解明をして、再びあのような事故を起こさないためにはどうすればいいか、細かく検討し、対策を施してから再開すべきである。
風が吹けば桶屋が儲かる”。これは落語の話であるが、これを福島原発事故に置き換えてみよう。
2時46分、地震によって原子炉が緊急停止、非常用発電機が作動
3時55分ごろ、津波のため全交流電源が喪失する。東電はこれを想定外の事故と言いその後の対策はとれなくなる。
 福島原発は、その時点ですぐ爆発したのではなくて、1号機は1日後に、3号機は3日後にばくはつしている。時間は十分ではないにしてもあったのだ。しかし、想定を超える事故に対しては、人間はなすすべがなかったのだ。
電源が喪失した結果、次に何が起きて、・・・、・・・、・・・、炉心溶融、・・・、・・・、水素が爆発して建屋喪失、・・・、となっていった。
このように、風が吹いて次に何が起こったのか、桶屋が儲かるまでの段階をはっきり解明しておくことが極めて重要である。はっきり解明されれば、各段階で次の段階に進むのを防止する対策が考えられよう。
再開しようとしている原発には、そういう対策が十分に施されいるべきであろう。
福島原発事故を無駄にしてはいけない、これから学ぶべきことは沢山あるはずだ。


後書き
福島原発の事故の解明にはおそらく10年や20年はかかるであろう、その頃には、今再稼働しようとしている原発が”古くて使い物にならない”であろうことを期待して。