古きを尋ねる(その2)

2日目は私が小学2〜4年を過ごした山奥の谷間の三義小学校でした。

グランドだけが町営の施設として残っていました。校舎はこの右側にあったはずですが、痕跡もなく畑になっていました。1学年が20数名の小さな学校だったので、過疎化に伴って早い時期に隣の谷の小学校に統合されたようです。
当時は、グランドの手前の一段低い場所には村の総合デパート(??)がありました。しょうゆ、油、酒、みそなどの計り売りやら、カバヤのキャラメルなどの駄菓子類、針金やくぎなどの大工道具、赤チン、包帯などの医薬品、などなど、日常生活必需品はすべて売っていたのです。昼間は子供たちも集まる場所でしたが、夜になると男たちが集まってコップ酒を交わす、ぐい飲み屋にも変身していました。
でも今は、石垣に囲まれた雑草のはびこる荒れ地になっていました。
住んでいた借家も、今は畑になって痕跡はありません。ドラム缶の風呂のために、下の谷間まで天秤棒で水汲みに行かされたこと、マキ割をさせられたことなどを思い出しましたが、今の小学生にはこんなことをした経験の子はまったくいないでしょうね。こんなことをさせたら、きっと、虐待になるのでしょうね。
家は、屋根を木の板で葺いただけの、天井無しの家でした。断熱効果は全くなし、冬は家の中も氷点下10度以下で、水気のあるものはすべて凍結でした。嵐の日の朝には、床面にうっすらと雪が積もっていたりして・・・。今の生活からは考えられない粗末な環境でした。